SS 秋の休暇

 ダイニングテーブルの上に広げたのは世界地図。サロニアに伝わる世界地図を写してもらい、そこに描かれていなかった浮遊大陸の場所や訪れた街・街道を書き足して作った地図だ。その地図に今居る風水師と吟遊詩人の村ダスターをウォーレンは書き加えた。


「まぁ、ここまぁるく海に沈めましたって言われたらそんな気がするよな」


ククッと喉を鳴らして笑ってケイルが差したのは、今目指しているのはサロニアの南にある2本角の岬。かつて岬の間は陸地でそこには神殿があったのだが、神の怒りで神殿が海に沈められ、2本角の岬になったのだという伝承があるらしい。

 サロニアはとても大きな街で、欲しい物は何でも揃うけれど、どこへ行っても国を魔物から救ったと言って熱烈に歓迎してくれるのだ。それが悪いわけではないのだけど、長閑な田舎育ちの四人には、どこに行っても気を抜けない、落ち着かない街でもあった。

 一泊立ち寄るだけなら、少し遠回りではあるけれどサロニアから南東の孤島にあるという風水師と吟遊詩人の村でも行ってみようか、と何気なく訪れてみたダスター。人の往来が少なく穏やかなこの村の雰囲気は、四人に育ったウルを思い出させるのには十分で、さら宿は長期滞在用の広いキッチン付き。せっかくだから今日一日のんびりしようかという事になったのだ。


「全く行ってないのは、この辺とあとはこっちか」


 そんな言葉と共にウォーレンはサロニアの西側とアムルの北側を指し示して「それに……」と続けた。


「あれをまだ見てない」

「あれって?」

「浮遊大陸から出た時。この世界が水没してた時に海の中から突き出してた……」

「あー、あのなんか嫌な感じがするガラスの角みたいなやつか。そういや見てないな? それっぽい話も聞いたことないし。馬鹿でかい筈だよな?」


 ほぼ全てが海に沈んでいたこの世界において、海面から不自然に突き出していたガラスの角のような物。近づいて海面からのぞき込んで見た限りでは浮いているようには見えず、海中深くへとずっと続いているように見えた。詳しく調べた方が良かったのかもしれないが、四人どころか五人全員が揃いに揃って妙に落ち着かないというか、なにか嫌だと感じたのだ。クリスタルの精霊に至っては、見たくないと言って船室に篭もってしまった程だ。平地だけでなく山脈も水没していたにも関わらず海面に突き出していたのだから、山よりも高さのある物なのは間違いない。だけど、大陸が浮上してからは、まだその姿を見ていなかった。


「まぁ、怪しいのはもうここしかないけど」


 そう言ってウォーレンが差したのは、アムルの北側。「死者の国な?」と苦笑を漏らしたケイルと同様、ウォーレンも苦笑いして地図を見てしまう。

 アムルでは街の北側の地図は無く、街の北の砂漠の向こうには4つの死の像が建っていて、死の像の前を通ると死んでしまう。死の像の先は、生きた者は行けない死者の国、と言われていた。サロニアで貰った地図ではアムルの北には砂漠が記されていて、その東側にはボコボコとした奇妙な山脈が描かれている。そして、アムルで死の像があると言われていた砂漠の更に北は……何も書かれていない。正しく言えば、大陸の外周とその縁をなぞる山並みこそ描かれているが、肝心の内陸はぽっかりと空白なのだ。サロニアの図書館で調べてみたものの、この辺りの地域に関してはほとんど記録が残されていなかった。


「怪しさ満点だけどな、死者の国とか、死の像とか」

「行ってみるか? ノーチラスならすぐに行けるだろ。ただ、こんだけ何も書いてないのを見ると、この先に行けない事情があるのは間違いなさそうだけどな」


 ウォーレンとケイルは軽く口にしつつも、“今やる事はそれでは無い”という事はしっかりと感じ取っていた。

 ドアの外から軽快に階段を駆け上がってくる足音が聞こえてくるのに気が付いて、ケイルは部屋の入り口に視線を向けた。案の定「見て見て!!」とドアを開けて駆け込んできたのは、妹のミリアム。足でちょいっと蹴飛ばしてドアを閉めて、ウォーレンとケイルが地図を広げているダイニングテーブルの傍らに来たミリアムは、弛ませたスカートに溜めてきた物をテーブルの上、つまりは地図の上に広げた。コロコロと軽い音を立ててテーブルの奥側に座っていたウォーレン手元まで転がって行った。


「お、栗」

「うん! 森に行ったらね、たくさん落ちてたの!!」


 嬉しそうに答えたミリアムをウォーレンが「ミリアム」と、低く呼ぶ。


「スカートに貯めて来るのはやめなさい」


 エプロンならいざ知らず、と極々冷静に告げられて「……はぁい」と、つい先程まで嬉しそうにキラキラさせていた瞳に不満げな色を宿してミリアムは返事をした。今日着ているのはサロニアで買ったワンピース。少し長めの丈だったからちょっと位なら見えたりしなかったが、行儀が悪い自覚は一応あったようだ。


「カーマイルは?」

「あ、本屋さんが開いてたから見てくるって」


 長閑な村だけど一応女の子一人よりは安全だろうと一緒に行かせたはずなのに、返ってきた答えは案の定だった。そんな事より!とミリアムはケイルの腕をはっしと掴んで引っ張った。


「広場でマルクトやってたの!お腹空いたから行こ? ね?」

「あー……。いいよ。どうせ昼飯要るし。ウォーレンは?」

「俺も行くよ。てか、この栗どうする気?」

「焼いて食べたい!」


 間髪入れずに答えたミリアムと机の上に散らばった栗を見比べてウォーレンは一言「足りないな」と小さく零した。


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 村の広場まで出てくると、広場にはところ狭しと出店が並んでいた。入り口近くで焼いていたチーズとベーコンを乗せて焼いたパンを食べながら広場を見て回る。

 規模でいえばサロニアと全く比べ物にならないが、ウルを思い出して懐かしくなる、小さな村の市場だ。ただ、やはり流通している果物や野菜はウルとは違う。ちらほら目に入る見慣れない野菜や果物に混じって、栗が籠に山盛りになっていた。籠に山盛りの栗とオレンジを買ったウォーレンを見上げてミリアムは少し不満げに口を尖らせた。


「買わなくても栗ならたくさん落ちてたのに」

「それは駄目。ここの人達も食べるものなのに採ってないって事は、なにか理由があるんだろうから。土地の持ち主がいるのかもしれないし、動物達が食べる為に残していたりするかもしれない。立ち寄っただけの俺達が勝手に山に入るのは駄目だよ」


 わかった? とやんわりと窘められて「……はい」としょんぼりとしたミリアムの頭をぽんぽんとウォーレンは撫でた。


「後は夕飯の材料だけど……ケイルどこいった」


 ウォーレンに言われてミリアムもきょろきょろと見回すが、一緒に来たはずのケイルの姿は無い。ついさっきまでは隣にいた気がするのに、いつの間にか居なくなってしまっていた。


「まぁ、あいつは放っておいて平気だし、他の所見て回る?」

「うん!  あのね、あっちでジュース売ってたの!葡萄ジュース買ってもいい? あとね、向こうにスパイスたくさん置いてあってね……」


 ウォーレンとケイルを呼びに来る前に一通り見て回って欲しい物は把握済みらしく、早く行こうと言わんばかりに手を引っ張ってくるミリアムにウォーレンは呆れた表情を見せながらも「わかったから。でも、ジュースは最後ね」と笑って歩き出した。

 肉に野菜と買い物を済ませて、ミリアムのお目当てのジュースを置いている店へと向かうと、見慣れた背中が目に入る。低い位置で髪を括っている男の後ろ姿で、特筆すべき特徴もないけれど間違いない。なぜなら、その肩にちょこんとクリスタルの精霊が座っているから。退屈していたのか、いち早くウォーレンとミリアムに気が付いた精霊は、二人に向かって手を振ってきた。


「お前、何ちゃっかり飲んでんだよ」


 ウォーレンの声に目線だけ向けてきたケイルは、ちょうど口元にあてていたグラスから深い赤紫の液体を一口飲んで、へらっと相好を崩す。


「これ、うめーの。飲んでみ?」


 詫びれた様子など全く無く、そんな言葉と共にケイルから差し出されたグラスを受け取って、ウォーレンも一口口に運ぶ。


「あぁ、うん。美味いね」


 ウルで作っていたワインよりもやや重めだけど、サロニアで好まれていたものよりはフルーティーで軽い飲み口だった。


「ジュースもあるってよ」


 そう言ってケイルは上にあるパネルを差したが、ミリアムからはミリアムの背よりも高いカウンターが邪魔をして、見上げても何も見えなかった。ミリアムの表情でそれを察したのか、ミリアムはケイルにひょいっと抱きあげられた。改めて差された方を見れば、品種ごとに赤葡萄のジュースが3種類、白葡萄のジュースが2種類、そして、林檎ジュースとパネルには書いてある。


「飲んでみな」


 差し出された小さなカップに、目の前で注がれた濃い紫色の液体にミリアムはワクワクと口をつけた。


「!!!」


 一瞬でその表情を変えたミリアムをみて、豪快に店主とケイルが笑う。ケイルはフリーズしているミリアムの手からとったカップをウォーレンに渡して飲むように促した。


「酸っぱ」 


 あまりの酸っぱさに思わず顔を顰めたウォーレンの言葉の通り、それはとても酸っぱくて更には後味に渋みもやってくる物だった。


「嬢ちゃん、口直しな」


 店主が置いたグラスには、別のボトルから似たような色のジュースが注がれた。グラスを手にしたものの警戒したようにケイルの表情を伺うミリアムを、ケイルは「それは大丈夫」と喉を鳴らして笑った。


「こいつはな、山葡萄のジュースで甘くは無いんだが栄養満点なんだな。割って飲んだり、煮込み料理に使ってんだ」


 店主はウォーレンが飲み残していた山葡萄ジュースに炭酸水を注いでもう一度勧めてくる。5倍程に薄く希釈されれば、透き通る赤紫はとても綺麗で、酸味も渋みも程よい範囲に収まっている。後味の渋みは殆ど無くサッパリとしていて、味のあるものは飲みたいけれど甘い物はちょっと……という時には最適だ。最初からこれで出してくれよ、思いながらウォーレンはそれを飲み干した。


「他に飲んでみたいのはあるかい?」


 店主のそんな言葉に、ミリアムはちゃっかりとジュースを全種類飲ませてもらって、赤葡萄ジュースと白葡萄ジュース、ワインを2本に山葡萄ジュースとしっかりと購入した3人だった。


「さてと、帰って夕飯の仕込みか? カーマイルは?」

「見かけてない。まぁ本屋か図書館に居座ってるだろ」


 ウォーレンの返答に、ケイルは後ろを振り返ってワイン屋の店主に図書館はどこか問いかけた。


「図書館なら、ここを向こうに抜けて右に曲がると登り坂になってる。その坂を登る途中にある2本目の横道を右に行くとあるぜ」

「抜けて右、登って2本目を右ね。ありがとう」


 帰りがけに本屋をチラリと覗いてカーマイルが居ないのを確認した後。買った物はウォーレンとミリアムに任せて、ケイルはカーマイルを探しに図書館へと向かった。


 ダスターの図書館は、小さな孤島の村の割には大きな物だった。カーマイルらしき少年が入館したのは司書が覚えていたのだが、閲覧スペースに並べられている机にカーマイルの姿は無い。本を取りに行っているならすぐに戻ってくるかと、近くの棚においてあった植物の図鑑を手にして入り口近くの椅子に座る。

 ウルの周辺に生えている植物なら危険な物や食べられる物を把握していたけれど、浮遊大陸を出てからは気候が違うからか見慣れない植物が一気に増えた。ノーチラスもあるから以前ほど野山を歩く訳ではないが、知らないよりは知っておいた方が良いだろう。パラパラとページを捲って眺めて暫くして閲覧スペースを見回してケイルは眉をひそめる。相変わらずカーマイルの姿が無い。本を探しに行っているにしても遅すぎる気がして、ケイルは図鑑を本棚に戻すと、書架の方へと足を向けた。

 ケイルは一列一列書棚の間を覗いて歩く。そして、十数列目にしてやっと薄暗い書架の間に弱く発動させた魔法のオーブを灯り代わりに浮かべて、書架を背もたれにして床に座り込んで本を読み耽っているカーマイルを見つけた。


「お前、またこんなとこで。ミリアム見てろって言ったろ?」


 カーマイルからの返事は無い。当然、顔を上げたりもしない。カーマイルの周囲には何冊も本が乱雑に置かれていて、ちょうど座り込んでいる目の前の書棚が見事な歯抜けになっている。閲覧スペースに持っていくのを億劫がって、ここで読む事を決め込んだのは一目瞭然だった。

 倒れて裏表紙が見えている古びた本を手にとって、その表紙を見れば、気象や地質の本だと知れる。パラパラとめくってみたが、ケイルとしては食指が動く本ではなかった。


「そろそろ飯の準備もあるし、俺らは宿に帰るんだけど? カーマイル。お前、聞いてる?」


 全くの無反応でページを捲るカーマイルに呆れて、ケイルがカーマイルの手から本を取り上げようと手を伸ばすと、その手をカーマイルに払いのけられた。どうやらケイルが居るのもわかっているし、声も聞いている上で、完全無視をしているらしい。


「面白い?」

「うん」

「まだ読みたい?」

「うん」

「お前、聞いてんなら返事くらい最初からしろよ」

「…………」


 そこは返事無しなのかよ、とケイルは諦め混じりのため息をついた。


「じゃあ俺も宿に戻るから、あんま遅くならないうちに帰ってくるんだぞ」

「うん」


 ケイルと話している間、カーマイルは一度も顔を上げなかった。


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 鍋いっぱいにざく切りにしたトマトを真っ先に火にかけ始めて、玉ねぎやじゃが芋、人参の皮を剥く。ダイニングテーブルで玉ねぎを切っていたミリアムは、扉の開く音に顔を上げて「おかえりなさい」とケイルに笑いかけた。


「ただいま」

「カーマイル、居なかったの?」

「いや。返事も碌にしないから置いてきた」

「あいつ、飯食ってた?」

「聞いてないけど食ってないだろうな。あの様子じゃ」


 ウォーレンの問いに苦笑いで答えて、ケイルはキッチンを覗いて「オーブンも使って良いって?」とウォーレンに問いかけるとウォーレンは短く「あぁ。火は入れてある」と答えて続けた。


「ケイル。バハムートとリヴァイアサンの唄聴いた?」

「何それ」

「さっき俺らが帰ってくるときに、マルクトの端で歌ってたんだけど」

「あー。俺が通ったときはチョコボの唄歌ってた」


 チョコボの唄って何だそれ。と怪訝な顔をしたウォーレンに軽く肩をすくめてケイルはウォーレンに先を促した。


「竜王バハムートやリヴァイアサンは認めた相手に力を貸してくれるって伝承があるらしい」


 芋を剥いていたケイルは「それって……」と手を止めて、ふわふわとミリアムの近くを漂っている精霊に視線を移す。


「召喚魔法ってことか?」

「かなぁ?」

「かなぁ?って。召喚魔法のオーブを使える幻術士ってジョブがあるんだろ?」

「それは有るけどオーブのことは知らないもん」

「知らないもんって……お前もうちょっと――」


 案の定始まったケイルと精霊のいつものやり取りに、こちらはこちらでもいつも通りにウォーレンが呆れた様子でため息をついた。

 切り終えた野菜を炒めてトマトを煮ている鍋へと入れる頃には山盛りだったトマトは崩れて沸々と沸き立っていた。そこに表面を焼いた牛肉と買ってきた山葡萄ジュースも入れて、灰汁をとって重たい蓋をのせたら後は煮込むだけだ。


「ミリアム、作る?」


 ウォーレンが買ってきた葡萄ジュースを手に問いかけると、ミリアムは「うん!」と嬉しそうに頷いてウォーレンに駆け寄った。


「火口開けるからちょっと待ってて」


 ウォーレンがキッチンのかまどから、オーブンへとスープの鍋を移す間に、ミリアムは鍋にたっぷりと葡萄ジュースを注いで、そこにスパイスを包んだ布袋を放り込む。

 ウォーレンが開けてくれた火口に鍋をのせて、沸々と沸いてきたら八ッ切りにしたオレンジを加えてもう一度軽く火を通す。ミリアムは熱々の葡萄ジュースをガラスのポットに注いで、冷めないようにダイニングテーブルに準備しておいたティーウォーマーの上に置いた。


「残り貰って大丈夫?」

「うん」


 鍋に半分ほど残っていた葡萄ジュースに、ウォーレンはワインをなみなみと注いで火にかける。こちらも沸々と軽く沸いたら出来上がり。ダイニングテーブルにオーブンで焼いた栗と温かい飲み物と揃えて、3人とも席に着く。


「カーマイル待つ?」

「待たなくていいだろ。ミリアム、栗まだ熱いから、気をつけろよ」


 あっつ……と声を漏らしながらも、ケイルが栗の殻を割る音が部屋に響いた。


「つーかさ。ウネって500年以上前から寝てるって言ってたよな。ドーガは何歳なわけ?」

「オーエンを知ってるみたいな口ぶりだったし、順当に考えたら1000歳以上になるよな」

「だからさ。人間としてありえんの? 何百年も寝っぱなしとか。夢の世界ってのが何なのかもよく解らないし」


 時折「あっちぃな」と零しながら、ケイルとウォーレンが栗を剥きながら話すのを聞きながらミリアムは手元のカップの葡萄ジュースを口にする。毎年ウルでは秋になると、こうして栗を焼いて温かいジュースを飲んでいた。春先にウルを出てから、ずっと知らない場所を旅していたから、不意に現れたウルの頃と変わらない時間にすごく安心していた。

 コロンと軽やかな音を立てて目の前の皿に転がってきたのは、殻を剥かれた栗の実。ミリアムが隣のウォーレンを見ると、「あげるよ」とウォーレンは微笑した。


「ウネって、怖い人なのかな?」


 ウォーレンからもらった栗を食べながらぽろりと零したミリアムに「なんで?」とケイルが聞き返す。ケイルとしてはドーガの兄弟弟子だから、特に怖いとかそんな事を考えていなかった。


「だってね、夢の世界の神様が出てくるお話どの話も怖かったんだもん」

「夢の世界の神様?」

「うん。アルスと図書館に行ったときに、ガルーダの話と同じ本にいくつか載ってたの。夢の世界で悪いことした人がこっちの世界に帰れないように鎖でつないじゃったり、約束を破った人を怖い夢の世界に連れて行っちゃったりするの。あとは、魔法の竪琴のお姫様の話とか……」

「魔法の竪琴?」

「うん。この世界と夢の世界を繋げる魔法の竪琴のお話」

「それ、どんな話?」


 兄二人に畳み掛けるように尋ねられて、「ええっと……」とミリアムは思い出すように視線を泳がせながら続けた。


「竪琴の上手なお姫様いてね、魔法の竪琴を持ってたんだって。それで、夜にお姫様が世界で一番高い塔の上で竪琴を弾いて歌うと、みんな夢の世界に行けたんだって。でも、夢の世界を独り占めしたいって思った王様がお姫様を捕まえて、お城の小さな部屋で自分の為だけに竪琴を弾かせるようになって、怒った夢の世界の神様が王様のお城ごと海に沈めちゃって、竪琴も海の底に沈んじゃって……。だから、それからはみんなそれぞれに眠ったら夢の世界に行くようになったんだって、そんなお話」


 思いの外神妙な顔でミリアムの話を聞いていた二人の兄を、ミリアムは不安げに見比べた。二人とも何か言いたげだったけれど、先に口を開いたのはウォーレンだった。


「時の神殿の話が語り継がれる間に変わった、のかな?」

「じゃない? 陸地を海に鎮める神様ごろごろいたら困るだろ。穴だらけになる。なぁ、他に塔が出てくる話は?」

「塔ならガルーダの話にも出てきたよ」

「それは竜騎士の塔だろ? そうじゃなくて、さっきの話に出てた世界で一番高い塔っての」

「えー……読んだ中にはなかったと思うけど……」


 ミリアムの答え「そっか」とだけ答えたケイルは、窓の外に視線を向けてふっと微笑した。


「あいつ、やっと帰ってきたな」

 その言葉につられてミリアムとウォーレンも窓の外を見ると、だいぶ暗くなった中、ほんのりと赤みを帯びたファイアのオーブが道を照らしているのが見えた。


「もぉー。なんでカーマイルあんな事できるんだろ」


 ぷうっと拗ねたようにミリアムは口を尖らせた。カーマイルは、魔法のオーブを今やっていたように明かり代わりに使ったり、寒いときにちょっと暖を取るのに使ったりと様々な使い方をしている。手を塞ぐこともなく明かりが確保できて、夜はもちろん洞窟でもとても便利だ。カーマイルが言うには、魔法のオーブをとても弱く発動させた状態で保持しているらしいけれど、ミリアムにはその感覚が全く判らない。発動させたらその先の威力はミリアムの意識で変えられるものではないし、そもそもオーブを発動したままの状態で維持することも出来ないのだ。


「むー」


 今微かにミリアムの口から漏れた声は、カーマイルに出来ることが自分に出来ない不満……ではなく、手にしている栗の殻が一向に割れないからだった。傍らから出てきたウォーレンの長い指がミリアムの指の横に添えられたかと思うと、パキッと軽い音を立てて栗の殻が割れた。


「黒魔法特有なのかもよ? それに、昔からできる人とできない人がいたみたいだし。……ん?」


 ミリアムが、ウォーレンとケイルを見比べてどこかショックを受けたような表情になった事に気が付いたウォーレンが、どうしたの? と目線で問う。


「ウォーレンもケイルもずるい! もう栗そんなに食べてる!!」


 ミリアムが見比べていたのは、それぞれの前に置かれた皿に乗っている栗の殻。確かにウォーレンとケイルの皿にこんもりとある栗の殻は、ミリアムの皿にのっている分の優に4倍はある。10歳女子と18歳男子の握力を考えれば当然の帰結であるが、食べたいのに肝心の栗が割れないミリアムが不満に思うのも無理はない。


「ミリアム。ほれ、あーん」


 ケイルに言われるまま、餌をもらう雛鳥さながらに素直にぱかっと口を開けたミリアムの口に、ケイルは大粒の栗を放り込んだ。ミリアムは、栗を頬張ったまま満足げにケイルにえへっと笑いかける。


「もっと」

「……剥いたらな」


 失笑したケイルの声に、ドアの開く音が重なった。


「ただい……あー、先に食べてるのずるい!僕も食べる!お腹空いた!」

「返事すらまともにしなかった癖に文句を言うな。鍵かけたか?」


 カーマイルは「かけた!」と答えながら着ていたコートをソファに放り投げた。が、それを横目で捉えたウォーレンに低く「片付けて来い」と言われて、渋々と奥の部屋へとコートを引きずって行った。

 コートを片付けて戻ってきたカーマイルは、ウォーレンの向かい側に座って、ティーウォーマーの上に置かれているガラスのポットに手を伸ばしかけて手を止めた。


「僕、どっち飲んだらいい?」

「あぁ、さっきワイン足したばかりだからミリアムの方」

「はーい」


 アルコールの入っていないミリアムの前に置かれた方をカップに注いで、口に運ぶと、カーマイルは表情を緩ませた。


「お前、なんの本読んでたんだ?」


 碌に返事も寄越さないで、とケイルが問うとカーマイルは「んーとね」と早速栗を頬張りながら答える。


「風水術の本とかかな。凄い面白かったよ。風水師って、ベルを鳴らすでしょ?あれ、その場にいる精霊を呼び起こす為なんだって。それで、精霊の種類や場所で好きなベルの音が違うみたいなんだ」

「それは、ベルを使い分けて?」

「うん。でも、それだけじゃないんだよ。ベルそのものの音程に加えて、好きな和音やその時の天候に応じた鳴らし方があるんだって。草原にいる穏やかな風の精霊は比較的高めの音のベルを明るい階調の和音でゆっくり鳴らすのが好きだけど、嵐の時は低い音のベルを単音で強く短く鳴らすとか。湖の水の精霊にはすごく高い音のベルを細かく響かせるとか」


 話を聞いていたケイルが「めんどくせぇな」と半眼で漏らしたのを、ウォーレンが微かに笑う。


「で、上手く行けば力を貸してくれるけど、失敗すると精霊を怒らせちゃうんだって」

「ふーん。俺、風水師はパスだな」


 割と様々なジョブをやってみたいと言うケイルだが、風水師はこの会話で一気にやる気を無くしたようだった。


「でも、船や飛空艇での移動には役に立ちそうだったよ。この島に渡ってきたときは風の精霊の力を借りて、嵐を無傷で乗り越えたって書いてあったから」

「いや、それにしたってめんどすぎるだろ」

「まぁね。だから召喚魔法が考え出されたみたい。精霊の力をオーブに閉じ込めて、場所や天気に左右されずに任意の精霊を呼び出すのを目指したのが召喚魔法の始まりなんだって。あとね、この村は昔サロニアが戦争をした時に、戦を嫌ってサロニアを離れた吟遊詩人と風水師達が作ったらしいんだ。同じようにサロニアを離れた剣士や魔道士・召喚士達がいて、それぞれ別れて村を作ったって」


 カーマイルはウォーレンとケイルの表情を伺う様に二人を見て「それでね」と続けた。


「サロニアを出てから、剣士たちは南西の山奥へ。風水師と吟遊詩人は南東の海へ。召喚士達は西へ。そして、魔道士達は北を目指して海を渡ったって」

「北……ダルグ大陸か。確か、魔剣士の里がサロニアの西の山中に有るって話だったな」

 ウォーレンの言葉にカーマイルは頷いて、その唇は弧を描く。

「そう。ファルガバード。だから……、あると思うんだ」


 兄たちをずっと眺めていたミリアムが、てんで話が分からないと言いたげな様子で「もぉー何の話かぜんぜんわかんないぃ……」とテーブルに顎を乗せて口を尖らせた。そんなミリアムの頭をテーブルの向かい側から手を伸ばしたケイルが苦笑いしながらぽんぽんと撫でる。


「召喚士の村があるんじゃないかって話だよ」


 ウォーレンのフォローの言葉をカーマイルが引き継いだ。


「海を超えて北へ向かった魔道士達がダルグ大陸のノアやドーガで、南東の海を超えた風水師と吟遊詩人の村がここ。南西の山奥へ向かった剣士達の村がファルガバードだとしたら、サロニアから西に向かったら召喚士の子孫が暮らす村があるんじゃないかと思うんだ。行ってみようよ?」


 珍しく興奮気味に話すカーマイルにウォーレンもやや押され気味になる。


「あぁ、まぁ、行ってもいいけど。気になる話も聞いたし」

「気になる話って?」

「力を貸してくれる竜や海竜が居るって伝承があるみたいなんだけど」

「あー、バハムートやリヴァイアサン? ノアが悪用されないように、どこかにすごく遠くに封印したってサロニアで読んだよ」

「封印されてるのか……。あ、カーマイル、世界で一番高い塔の話は読んだことない?」

「世界で一番高い塔??」

「うん。ミリアムが読んだ昔話に出てきたって言うから」

「僕、魔法史は少し読んだけど昔話や物語はほとんど読んでないよ。どんな話?」


 カーマイルに尋ねられて、ミリアムはもう一度サロニアで読んだ昔話を繰り返した。カーマイルは、あまり興味の無さそうな相槌の後で「伝承や昔話を調べるならサロニアより、ここの図書館がいいかも」と告げた。


「ここの図書館、凄いんだよ。ケイルも見たでしょ? あの本の量。吟遊詩人達が歌い継いでいる唄の記録であの量なんだ。サロニアの図書館ももちろん凄かったけど昔の技術に関するものが多かったんだ。内容を伝承に限ったら多分ここの方が多いよ。ところでさ、ご飯他にもあるよね? お昼食べなかったからお腹ペコペコなんだ」

「……オーブンにスープが入ってる」

「やった。食べる」


 山盛りのスープとパンを持って戻ってきたカーマイルに、呆れた声音でウォーレンが言う。


「お前さ、一人でも昼飯位は食えよ」

「え? なんで? 面倒くさい」


 明日は何読もうかな〜と楽しげにスープを頬張るカーマイルを見ながら、ウォーレンもケイルもどこか諦めた気分でため息をついた。


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