あいつらちゃんと逃げただろうな…?
飛空艇から飛び降りたときが強烈過ぎて、ほんの10分も前にはあの煙を上げて傾いて飛んでいく飛空艇に乗っていたのだという実感は無かった。飛空艇は遠く聞こえる爆発音とともに煙を立ち上らせて頼りなさげに小さくなっていく。この軌道ならばウォーレンの狙い通り、城にぶつかることはなくサロニアの北の山脈に落ちるだろう。
流石にまだ乗ってたりしないよな…??と、どこか不安になるのはウォーレンが実は高いところが苦手なのを知っているからだ。こんな事不安になるなら、先にあの2人を蹴り落として置けばよかったか?
上を見上げながらケイルはそんなことを独りごちた。それはさて置き、ケイルがこれからしなければいけないのは移動である。ケイルの傍らで同じように飛空艇を目で追っていたカーマイルは、ケイルの視線に気づくとあからさまに目を背けた。
「お前まだ怒ってんの?」
「なんで怒ってないと思うの?」
端正な碧い瞳に不満の色をたっぷりと滲ませてジトッとケイルを見上げてきたカーマイルは、ケイルを睨めつけて更に続ける。
「誰のせいで舌噛みながら呪文唱える羽目になったとおもってんの?ケイルのせいだよね? ケ イ ル の!!」
「あー、もうさっきも言ったろ。悪かったって。でもアレに乗ってるよりマシだろ?」
アレ、と指したのは煙を上げてフラフラと飛んでいく飛空艇だ。
「とりあえず、図書館行こうぜ? 図書館。好きだろ、図書館。な?」
「そういう問題じゃない」
さすがにここで素直に喜ぶのはプライドが許さなかったらしく、カーマイルは口を尖らせたま視線を背ける。もっとも連発される“図書館”という甘美な響きにカーマイルの表情が緩んだのを付き合いの長いケイルが見逃すなんてことはなかったが。
サロニアの街はここに来るまでに何度となく地図で確認をしていた。城の北側は山脈、4つに分かれた大きな城下町は城の南側に広がっている。南西と北東この2つは所謂城下町。南東の街は軍の施設が集まる街。そして、残る北西の街には飛空艇から飛び降りる時に決めた待ち合わせ場所である図書館や劇場があるのだが……問題は、ここが何処かである。
北西の街に行けばいいんだからとりあえず城の側に向かえばいいのか?と思いながらケイルは街を見渡す。はっきり言ってケイルやカーマイルにとって今まで目にした中で一番大きな街だ。だが同時に、一番活気のない街でもあった。
歩き始めて20分ほど経ったがほとんど人とすれ違わない。上空で飛空艇が爆発した爆音が轟いた時でさえ、大きな騒ぎにはならなかった。
外にいた人々はため息交じりに空を見上げて、驚いて泣いた子供を困ったようにあやす。ただそれだけだった。こんなことが日常茶飯事であるような雰囲気だった。
活気はないものの時折すれ違う人々怯えたり隠れたりしている雰囲気ではないので、さしあたって大きな危険はないのだと判断して、ケイルとカーマイルは街の真ん中を貫いていると思われる大きな道を歩いていた。
「なんだろうねぇ、この街は。こんなでっかくて立派なのにろくに人も歩いてない」
「砲弾が飛んできたんだからそこまで平和でもないんじゃない?」
「でもこの街でなんかおきてる雰囲気じゃないからなぁ」
呪われているわけでもない、略奪にあったわけでもない。整った街並みは至って普通だ。それにも関わらず街に活気は全く無かった。なんでこんな時化た空気なんだ?と話しながら歩いていたケイルが横道の方を見て立ち止まったので、カーマイルも足を止めた。
耳をすませばケイルが視線を向けた先にの横道から微かに人の話し声、一人二人ではなく大人数の話すざわめきが聴こえてきた。
「やってんじゃん、酒場」
その歓喜の滲んだケイルの声音にカーマイルは眉をひそめる。
「え、行くの?今?」
「行く。今」
「えぇ……」
遠ざかる図書館に肩を落としたカーマイルをよそに足取りも軽くケイルは細道を進む。渋々ついていったカーマイルは、店の前でケイルが口元に人差し指を当てたのをみて、小首をかしげた。
「……はっ。王子様だってか。こんな所にのこのこやってきて何が王子だ?」
「王子だっていうならさっさとお父様でも止めてこいよ」
様子をうかがっていたケイルとカーマイルの眼の前で、そんな言葉とともに酒場から人影が転がり出てきた。突き飛ばされて蹲ったまま咳き込んだその人影に、とっさにケイルもカーマイルも駆け寄る。酒場という場所に似つかわしくなく華奢で小さく、どこからどう見ても子供だった。次いで酒場から出てきた男がケイルとカーマイルに目を留める。
「何だ、お前。見ない顔だな」
声音のみならず全身から不機嫌なのが滲み出ているその男は、子供とカーマイルを庇うように前に立ったケイルを値踏みするように見る。
「普段ここに来ないんでね」
「だろうなぁ、この店はガキに用はねぇしな」
「こっちも子供に暴力振るう程度の低いやつに用はねぇんだよ」
ケイルが応じるその間に、カーマイルは地面に蹲ったままだった子供を抱き起こす。
「嘘つきのガキには躾が必要なんだよ。お前みたいに変に勘違いする前に……なっ!」
腕を振りかぶって間延びしたセリフを聞きながら、顔面めがけて飛んできた拳をケイルは軽く上体を反らして躱す。普段相手にしているモンスターの速さと威力に比べたら生身の人間はそこまで脅威に感じることはなかった。
「真っ昼間から酔って暴れんのはカッコ悪いぜ?おっさん」
視界の隅にいたカーマイルに子供を連れて避けてろ、と視線を送る。
「なに余所見してんだよ」
懲りずに殴りかかってきた男の拳を体制を低く踏み込んで躱しつつ、そのまま男の左腕を掴んで後ろに捻り上げた。
「余所見してるやつにも勝てないんじゃ、どっちが勘違いしてるんだかわかんねぇなぁ?」
カーマイルが子供を抱きかかえて大通りの方へ離れたのを確認して、ケイルは男を煽るように口元を歪めて手を離す。前のめりになっていた体制から支えを失った男が地面になだれ込んだのを合図としたかのように、店の中にいた男の仲間と思しき男が3人、ケイル目掛けて襲いかかってきた。
流石に3人相手じゃそうそう手も抜いていられない。とりあえずケイルは一番手近だった右側の男の鳩尾にひじをめり込ませて昏倒させた。そのあまりの早業に酒場の空気がにわかに沸きだった。見世物じゃないんだけどな、と思いつつものらりくらりと闇雲に繰り出されてくる拳を躱す。ケイルの背後にテーブルがある。相手はケイルが後ろに下がることが出来ない様に追い込もうとしているのは容易に察しがついた。
テーブルの上に酒の入ったジョッキは乗っているが、席についている人はいない。ケイルが店に入った時に特に動いた気配もなかったから、恐らくこの席にこの喧嘩っ早い男達が座っていたのだろう。何にせよ人がないのは都合がいい。これ以上ケイルが後ろに下がれないと踏んだのか、相手が思いっきり振りかぶってきたのをケイルは大きく横に躱し、その伸びきった腕を掴んでテーブルの方へと一気に引き倒して無防備な首元に手刀を落とす。次いで視界の隅で何かが光った気がして振り返ったケイルの眼の前で、ナイフを構えた男が駆け出そうとした姿勢のまま勢いを失って床に倒れ込んだ。
視線を上げた先、酒場の入口近くでやたらと主張をする赤い外套が翻る。カーマイルだ。どうやら最後の男はカーマイルにあっさりと眠らされたらしい。
「……忘れてたでしょ」
「ん?」
「最初のヤツ!コケさせただけなの忘れてたでしょ」
半眼で告げられて、「あぁー……」とケイルは微かに声を漏らす。
「急にこっちに殴りかかってきてびっくりしたんだけど?!」
「ごめんて」
でもびっくりしただけなんだから、お前が自分でなんとか出来たんだから良いじゃん、とケイルはヘラっと笑って足を踏み出して、足がぶつかったナイフを拾う。
「これ、危ないから預かっておいてよ」
カウンターの奥にいる店主の前にケイルはナイフを置くが、返ってきたのは困惑混じりの相槌のような返事だった。あの態度を見る限り、あの男たちはこの辺では腕に覚えがある連中だったのだろう。それをあっさりのしてしまったのだから、わけがわからなくても仕方のないことなのかもしれない。
微妙な空気の漂う店内を一瞥してケイルは息をついた。どう見ても街の近況を聞ける雰囲気ではない。仕方なくケイルはカーマイルとその後ろに隠れるようにしていた金髪の少年を店の外へと促した。
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